練習台としての自分の役割

最近はいくつかの愛憎劇の渦にいつの間にか巻き込まれていて少し疲れを感じている。

人は誰か好きな人がいれば、きっとその人をいつも見ているだろうし、その人の視線が自分には向いていないとわかれば、嫉妬や妬みが湧いてくる。それは同性や異性でも関係なくある感情だろう。

きっと誰もが持っているネガティブな感情を向けられるのは仕方がないとはいえ、やや辛い。しかし、そうやって未熟な感情を乗り越えて人は成長していくのなら、いくらでも練習台になろうかなと思ってきた今日この頃。

これは好意を持ってくれている人たちに対しても思うことだ。自分に向けられたその想いは叶うことはないが、練習台にはいくらでもなろうと。近い将来、また好きな人ができて、幸せな結末が訪れるように、勇気を出して話しかけてみて欲しいし、失敗など色々な経験もして成長していってくれと願っている。

これは恋愛にかぎったことではもちろんない。コミュニケーションを取る能力はこれから社会に出るうえでとても大切なものなので、みんなと色々な話をしながら、その練習台になればと思っている。普通に話しかけてくれる子はコミュニケーション能力がもともと高いだろうから、心配ない。だから、なかなか取れない子とたくさん話したいなと思っているのだ。でも、はじめはあまり話ができなかった子もたまに話しかけてくれたり、アイコンタクトをしてくれたりして嬉しいと感じる。みんな素敵な所があるので、いいところをたくさんみつけて伝えていけたり、伸ばしていけたらいいなと思っている。

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