祈りと宗教

キリスト教も仏教もイスラム教もすべて、根っこの部分は平和を願っている。

だから、どんな宗教があってもいいと思う。今までの歴史の中でも、神という存在や宗教によって秩序が乱れず、平和な世界をつくりだしていたとも思えるし。

もともと母方の祖母はお寺出身、父方もお寺が身近にあり、転落人生からある仏教系の宗教を信仰していた。

その家に生まれたことにより、祈ること、すなわち無になる時間ができた。それはある意味、お経を唱えることによって瞑想をしていたのかもしれない。そして、仏教の基本的な考えを知ることもできた。また、自分の思いを祈る、念じる、想像することによって、その現実が引き寄せられていることを実感していた。こうして精神世界を自然に受け入れられたのかもしれない。

祈りは自分の中にあるまだ表には出てきていないものを引き出すための行為だ。

仏教では、問題が起きても、誰かのせいにするのではなく、原因は自分の中にあると考える。いじめとか嫉妬とか自分ではどうすることも出来ない事は別だが、何かしらの問題が起きている時は、外に答えを求めるのではなく、自分が変わる事によって、現実も変わってくる。

だから、仏教は何かにすがるものではなく、うちなる自分に問いかけて、奥底に眠る自分の意識を現実に投影していくという実践的な宗教だと思う。

今は特に宗教というものに固執することはないが、そういった精神性を大事にしているし、神社やお寺にも行くし、教会や山に行くと神聖さも感じる。仏教などを通して学んだことは決して無駄ではなかったと思うし、学んだからこそわかることもあると思う。

そして今現在わかったことは、起きていることはすべて必然で、宇宙が決めているんだなということ。

だから、直感のままに決断していけば、自然と道は開かれる。そして、自分が決めた事により動いていく未来がある。

とは言っても、実はまだよくわかっていないことも多いし、また考えは変わるかもしれないが、そう思った今日この頃。

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